六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

じょうずに寄り添う月末月初

吹雪、顔がヒリっとする寒さ。忘れていた感覚、経験の記憶。
新聞に“酷寒”という言葉が太字で踊っていた。なるほど“酷暑”はわりと馴染みがあるし感覚として思い出せる。“酷”がつく寒さは忘れていたぞ。
さらに“サル団子”なる言葉が光っている、サルが寄り添って団子状になっているのだ、かわいらしいぞ。

今月から始まる、毎週水曜日朝7#00のC社主催の勉強会に参加することにした。
2#1から始まるので区切りもよいし
参加表明した理由はざっくり三つ。
まず第一に、半ば強制的に“早起き”ができる。
第二に、いくつかの“刺激”が得られて楽しい。
第三にたくさん“機会”を得られる。

それでいて開催場所が我が事務所から徒歩5分という条件も揃い、参加しない理由が見つからない。

10人ほどの参加者が1つの映像を見て(事前にwebで意見交換しているものでもある)発言を重ねていく

この日の映像で、とある社長が語る言葉に
「いつも忘れていないよ」というものがあった。
スタッフに声をかける大切さや言葉、みたいな文脈だったと思うが、そこにある感覚や気持ちについて発言した。
技術的なものではない、サルが寒さから身を守るために団子になるように、自然に寄り添う気持ち。実際に寄り添わなくてもよい、寄り添うのは目線だったり、思いだったり。相手は人だったり動物だったり、モノだったり、概念だったり“月末月初”だったりするのだ。

年末に実家に帰った際、自分が高校生の頃読んだ“景山民夫”の短編集「普通の生活」を見つけた。
嬉しくて20年以上ぶりにぱらぱらやってみたのだが、いちいち小粋でやっぱり面白いなと読み返している。
その文庫の解説に“色川武大”氏がこんなことを書いている。
「私はすぐに、人の母親のような気分になる男だけど、景山さんの場合も、彼の母親になったような気分を抑制することができなかった。」

“母親になったような感覚”がたぶんニュアンスとして一番近いのでここに記しておこう、ちなみにその後に続く下記文面、色川武大の“人”に対する目線と距離感が好きだ。

「実際、この息子は、話題豊富でおしゃべり大好き、回転が速くてギャグ沢山ときているからいつも賑やかで明るい。仕事もエネルギッシュで頼りがいがある
私は五体がきかなくなったら、彼の家の離れの茶室の中に引きとられて、粛々と大往生をとげようと思っている」