六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

決め技にざわめき

ロンドン五輪が終わった。なんか盛り上がりましたね、今年の夏は。思い出いっぱいだな。
毎朝毎晩、テレビばっかり見てしまったもので、たくさんの場面を見ているようなんだけど、実はほとんど同じような一部の選手や場面ものを見ており、広大な海の、我が家近くの海水浴場でぴちゃぴちゃやって楽しんでいるだけのような気もする、この海の魅力のどれくらい分かっているのだろうか自分は。このでっかいお祭りを通じて分かったのは、やはり“テレビは要注意”だぜふうっ。。っていうことだ。
ヒーローが作られては消費される、コメンテーターに過去のヒーローが登場して懐かしむ、テレビを見ていると、そこにある世界の住人になるので、そんまんまのせられる(いや、のせられるのはとても気持ちが良いんだけど、吸着力が強すぎて演出された世界に疑問をいだかなくなるのが少し怖い)、自分の目で見ているようで実は自分の目じゃない。余計なものがないしねそこには、何しろカメラの目なのだから。カメラの目を通じてなおこんなにすごいお祭りというのは、余計なもの余分なものまで自分の目で見ることができたらどんなに素晴らしく、どんなに汚くてどんなに美しいのだろうか。
日経新聞の「私の履歴書」連載中の君原選手(マラソン)が、東京五輪のエピソードで語っていたのは、選手村に滞在して、毎日たくさんの一流の選手の姿や試合を見るのが楽しくて興奮して、結局自分の試合に力を発揮できなかった、、みたいなこと。
そうだよね、選手という立場であのお祭りに参加するというのは、あらゆる意味で特別な光景を目にするわけですものね、五輪の光と影、興味深い。
日本テレビの番組の臨時キャスターでやたら露出の多かったファッションモデル“桐谷美玲”について、酒場で「あんなに可愛い女の子が選手にインタビューとかしちゃうとさ、女子選手は2ショットで映りたくないだろうし、男子選手は目尻さがりまくってたいへんだよね」的な、俗物的与太ばなしを興奮ぎみに繰り広げていると
「あなたも40歳になって、そういう普通のオッサンみたいなこと言うようになったのよね・・・別にいいけどさ」的に、たしなめられた(のか?)

なんだかんだね、テレビに翻弄された五輪の夏、日本の夏。