六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

知ってると分かるはちょっと違う


4#9春らんまん

朝から

頭のもやもやを、目の前にいる人に

言葉として放つ

自分にない言葉が

クロスカウンターで放たれる

それを腹筋で受け止める

腹筋の刺激により

中からエネルギーが沸き起こるようで

ぼんやりした道筋が見えてくる

短いスパーリングふう作戦会議

よしよし、本格的な戦いに、、

いえ、なるだけ戦わないための作戦なのである。




午後から、何度目かの‘中洲プレゼン’

夜の素敵な住人達に

僕たちの、こちら側の企画を

分かってもらう必要がある

表面的に‘知る’のではなく

‘分かって’‘理解して’もらうのである


この日記のように

よがりよがった表現でよいはずもない

言葉も専門用語をさけ

らしき専門用語をつかった場合は

分からない人を基準に

ひとこと添えることが必要だ

逆に、夜の住人の属する世界のことに関しては

ある程度知っている

それが前提のトークがポイントとなる

それはもう、こちとら中洲のお店なら

20年以上個人的にキャリアがあるから

多少の用語を垣間見せる変化球も使える。



人に伝えるとは

かくもシチュエーションにより変わるものだと思う


昔からやっている、新聞の

記事原稿のお仕事では

その用語を誰もが分かると思うんじゃない

分からないひとがいることを前提にして

伝える言葉を使いましょうよ、、と

個人的に、何度もダメ出しを喰らった経験がある

同じことを伝えるにも

同じ言葉を伝えるだけではダメだ。

(この日記は、あくまでそこら辺り‘自由’なのであしからず)




この日、テレビで

古舘氏が‘小保方さん’の映像に対して


PowerPoint』が分かりませんでした。。。と

コメントしたのだが

『知らない』と『分からない』は別物だから

そんなにおかしい発言ではないと思われる


しかし、ネットニュースでは

古舘氏が『PowerPoint』を‘知らなかった’ことになっている
(それが騒ぎになってニュースになるという)


、知らないわけではなく

『分からない』んだと思うんだなこれ

そのために解説入れたと思うんだよね。


不思議で、実にたいへん面白い現象だと思う。

ネットとテレビの違いや

捉え方や視点が違うだけで

まるで違う事実が放たれたりするのだ。

少し立ち止まらないと危ないあぶない




夜更け

大いなる樹→梅ノ香→吉野家

自分にとってきらめく北天神ゴールデンコンボ。
吉野家は正確には北天神ではないが)



吉野家にはちょっとうるさい僕です

昔のアルバイト時代、そこで出逢った彼女との思い出と別れ

そんなエモーショナルを差し引いても

4月以降の牛丼が断然美味しくなりました

しみじみ25時半に思う。 http://fb.me/1iWEtBMzD


この日記は、よがった表現もあれば

固有名詞も

抽象的表現も

その逆も

分からないことも前提に

放つものです

読者ターゲットを‘少し未来の自分’にしてますから


おやすみなさい。