六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

ブログ更新に関するひとつのエア視点。

最近頻繁に更新される、知人のブログをちょいちょいチェックしている。
力の入り具合も抜け具合も自然で、人間味がよく出ていて、いいないいなと思う。
“らしい”感じが滲みでる文章は読んで気持ちがよい。
そういう自然に素敵な言葉を読むとうらやましくて、書きたくなる。

そこでだいぶ久々にぼつぼつと、携帯片手にこのブログを更新することにした。

書くことはとても楽しいけれど、すぐに飽きちゃうので、腐らないうちに自分なりに少しイメージを明らかにしておきます。
自分メモの意味も込めながら。


ここ数日、仕事で販促企画広告を作っている案件がある
11月に博多座で開催される「團十郎海老蔵の親子競演」の歌舞伎に関するものだ。
夜の部の演目に「勧進帳」が予定されている。
弁慶が“何も書かれていない紙”を前に、まるで書かれているかのように読み上げるあれですよ。

ふと、それを転用したスタンスでブログを書けるのではないか?と思った。
つまり、まだ書いていないスペースを、すでに書かれていたかのように書いてみる。
あら不思議、そこには淀みなく自分の言葉があるではないか。


村上春樹の短編「納屋を焼く」に“蜜柑むき”の形態帯模写に関する、スペシャルな考察が語られる場面がある

「あら、こんなの簡単よ。
才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ」
「まるで禅だね」
僕はそれで彼女が気に入った


これこれ
つまりあれだ。
「才能なんかじゃないのよ、そこに書かれている文章があると思うのではなく、文章がないことを忘れればいいのよ。」

ピンときた
「ブログ更新」なんてものはしょせん「エア蜜柑むき」みたいなもの。

結果オーライ、それで僕もすっかり“納屋を焼く”の彼女を気に入ったのである。