六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

縦横無尽に美しい

先ほどまでの音楽の余韻を纏ったままぶらぶら歩き、帰るのが惜しくて久々にご近所のアイリッシュパブでひとり“ギネスビール”を飲みながら更新。
このバーは、文化度が高いけど敷居は低い。そしてアーティストとかミュージシャンとやたら出逢う空間。
今先ほど、カウンターで九大の教授兼作曲家の“藤枝守”さんと、箱崎地区の銭湯跡地再生プロジェクトについて飲みながら語る。
文化は雑談から花開く、そうやってバーやパブやカフェから新しいことが始まるのです。

さてここ2週間は深い時間まで飲んでみたり、古いルーチンを壊してみたり、新しいルーチンを始めてみたり。
まぁ、いつもそうなんですけど・・・、ルーチンを身体に染み込ませたら壊したくなる、明日のことが見えるとつまらなくなる、また新しい三日坊主をやりたくなる。

いや、書きたかったのはそんなことではない。

疲れていると、どうでもいいことに腹がたつ、松屋の牛丼についてオベレーション物申したくなる余裕のなさ
夢の中でも現実の物語は続いていて、少し先が見えなくなる心持ち。


美しい音楽の前では、そんなささいなことがぶっ飛んでしまう偉大な時間。
抱き締めたくなるような音、空間。
読響(読売日本交響楽団)の“三大協奏曲”公演を、コバケン(小林研一郎)指揮@アクロス福岡シンフォニーホール。
自分の状態に、周波数が合う感覚、クラシックマジック、音に包まれ、全ての疲れが取り除かれる感触。

メンデルスゾーンとドヴオルザークとチャイコフスキーのコンボ
あるいは岡崎慶輔と遠藤真理と小山実稚恵のコンボあるいは、読響とコバケンと自分のコンボ。

縦横無尽に美しい。

メンデルスゾーン“ヴァイオリン協奏曲”
メンデルスゾーンはね、200年前の裕福な銀行家の息子さん。いわゆる“神”に選ばれた天才。
その調べに、妖精が見える、その音のニュアンスには何か目に見えないシャワーが降り注ぐ感じ。

ドヴオルザーク“チェロ協奏曲”
ドヴオルザークはね、170年前の小さな村の宿屋兼肉屋の息子。
彼の叩き上げた音楽からは、壮大な景色が見える、ボヘミアンのスケール感が、あらゆる目先のことを小さく思わせる。

チャイコフスキー“ピアノ協奏曲第1番”
チャイコフスキーの超メジャーな作品には、妖精もいるし、ボヘミアンもいる。
170年前の鉱山技師の息子は、役人を経て音楽の道に進み、この調べを世にだした。

クラシックは偉大な再現芸術で、時空間を越えて目の前に提示する現代の音楽家たちを心から美しいと思った夜です。