六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

酒池読林・読み放つ忘年会

寒さ深まる火曜日。
夜、読書会の忘年会開催。大名の「ふくろうの森」にて
参加者12人各自が今年の一冊プレゼン本と、プレゼント本の計二冊持ち寄るルール。
24冊見事に違う個性が出た、本をつまみに飲む酒の美味いこと http://movapic.com/pic/200912160011444b27a73091d44

この日の詳細、登場した本は別blogで記録予定(休みの日にやる)

来年の読書会の月ごとテーマ本も12冊、主宰の寺田さんから提示され、より拡がりそうな予感。



今年「読書会ポータル」http://www.reading-circle.com/
に書いたコラムを転載しておきます。
「鍵かける読書・扉あける読書会」から抜粋
↓ここから

自分の無意識は分かるもんではない。
その行動・動作をすることによって初めて分かることがあります。
自分自身との対話は、外を一度経過しないと完結しない。

うーむ、そうだな。
さてこの場所書くにあたって 
「読書」と「読書会」の対比をいろいろ考えてみます。
“インプットとアウトプットの違い”じゃ当たり前すぎて、このコラムが
膨らまないなと、ぼんやりと思っておりました。

本を読むのは楽しい。楽しいから読もうとする、そこに満足もある。
でも、読んだ後に自分が感じたことの大部分に、無意識に鍵をかけてるんじゃないかと思うんです。 
あ、鍵をかけることは悪いことじゃないんですよ。
家に帰れば鍵をかけますし、そうしないと安心して眠れない。
でも、窓を開けないと風が吹かないし、扉を開けないと外には出られない。
風を感じないといかんぜよと思います。読書に関しては、鍵をたくさんかけすぎて外に出られなくなっている状態なんじゃないか・・・と。

これって、読書会やり始めてから浮かんだイメージなんです。
「鍵かける読書・扉あける読書会」

読書会って、ゆるい強制力があるので、扉を開けるんですね、窓も開く。
風がざわざわ感じられますか?
自分の言葉で、声に出す。声に出すと音として外に出ます。
風がざわざわ感じられますか?
自分の言葉で、声に出す。声に出すと音として外に出ます。
吹いた風には情報が乗っている。あれ、こんなこと考えてたんだ・・と。
対角線から別の風が吹いてくる。あれ、そんな見方あるのかしら・・・と。
自分が考えていることは、外に出して初めて分かる。
相手が考えていることが分かって、自分の考えも意識される
時々、風を身体に通すために「読書会」やりましょう!

↑コピーここまで

読書会は、今年で2年目。毎月1回開催、課題本を事前に読んできて討論がルールです。ぜひどうぞ! http://mixi.jp/view_community.pl?id=3142680