六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

もやもや2012年

新年にあたって、手帳を一新すると共に、言葉として“マニフェスト”を書いたり、そのための具体的施策を考えたり
今年の漢字を決めたりするわけですが
書けば書くほど“もやもや”が、行間から隙間から余白から顔を出す。
言葉が危険なのは、それっぽいことがいくらでも書けてしまうことだ。
そして、それっぽい言葉に安易に反応してしまうこと。人の言葉に煽られて感情を揺らされるたびに、一回その感情を別の視点で見直してみるとよい。
残念ながらたいてい条件反射、人間には反応するしくみがきちんとあって、それはとても素晴らしいことだけど、それを利用しようとする言葉が日常的に流れておる、低温ヤケドのようにじわじわと損なわれる自分。
本当は言葉なんていらないんじゃないかと思うことがあるのだけれど、そうして社会生活から断絶する不安感もあるしね(そこらへん、小さくまとまってます)。
早く書くことや、感情を殺して書くことや、それらしく整える技術は、量をこなせば磨かれる、その技術が仕事をする上で武器であることも知っている。心を込めることすら最近は技術みたいに語られてはいないだろうか。
こうやって書いていてももやもやが消えず、たいていだらだら書いては“削除”なんです。
とはいえその感情と、それをあとから読んだ自分との“距離”を確かめるために1#1のメモとして残します。
2012年は“考える一年”にしたいのですが、もやもやについてじっくりと、別の言葉に置き換えることをやりたいと思います。