六ツ角研究室(ムツラボ)

ムツカドあたりから流れる音楽のごときニュアンスを

?の行方

やはり睡眠を削ったツケはどこかでやってくる。たまった書類をさばいてもさばいても終わりが来ない、正確には“終わりのイメージ”への到達速度に現実がついていかない。頭脳と肉体がついていかないのだ。

1#20金曜日
あるイベントを立ち上げるための署名の頼まれごと、あとで何人かに協力を直接頼みに行こうと思っていたら、誰かが自己判断で“回覧”してくれていた。誰かもその意思をくみ取り署名の上伝達してくれる、瞬く間にシートが埋めつくされた、ああ素晴らしい出来事。


かねてより気になっていた、C社のネットサービス、途中まで登録して、申し込まずに数日。まぁ、よくあることです。世の中には“重要だが緊急ではない”ことがあふれすぎている。
すかさずC社の社長T氏から直接電話があり、本日なら時間が合いそうなのでランチすることになった。
旧知であり、彼の会社を以前より応援しているが、このサービスについてはいくつか疑問があった。
この値付けにする根拠や、なんのためのサービスなのか?そこはサービスを受ける立場の自分と、サービスを提供する側の目線としての疑問ある。
質問に対する彼の応えが明確で、納得して+αのヒントもいただいたので、当然のごとくそのサービスに登録した。
彼と食事しながら、一連の彼の行動を振り返り、これが営業マンの仕事だなと感心した。日常生活には小さな疑問がたくさん浮かんでは流されていく、小さな疑問は大きな疑問に消される。人は流れる疑問など捕まえなくても普通に生きていく。
大げさに言うなら彼はその小さな疑問を網ですくいとり僕の目の前に呈示したのだ、それも自然に。?→!に変わる時、人はなにかを手に入れる、そのための行動をとっているだろうか?そこでまた新しい?が生まれる、それが育つかどうかは“人”の問題だね。


昨年末に(10年以上ぶりに)再会した社長の事務所に顔をだす。“音楽”の話をするためだ。
テーマに纏わる具体的な話をしていたはずが、抽象的な概念(彼は“妄想”と呼ぶ)が登場する。
説法を聞いているような時間、脳みそを揺さぶられるようなその感覚、だんだんあの頃がよみがえってきた。
さてなにができるのだろう、流されるか、捕まえるか、徒労に終わっても行方を追いたい。