いいにいさん
まだ部屋の暖房器具は稼動させておらず、毛布2枚重ねと掛け布団1枚
今年は首巻がかかせない、喉が痛いのだ、しみじみと。
東洋医学で、女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢で体調に変わり目が訪れる(by養命酒)といった記述があるらしいんですが
ドンぴしゃり、完全に今年は変化しております。
目はかすむし、白髪は増えるし、日記は書かないし、部屋ワインで夜な夜なソファー落ちするし・・・と
身体のケアにも金がかかるし、それを客観的に眺めて精神の波乗りに乗り出す必要があるぜ・・とね。
来週の読書会のテーマがエーリッヒ・フロムの「生きるということ」なんですがこれが、なかなか手ごわい本で、たいてい読み始めると5分ほどでソファーで寝落ちして、背中にくっきりソファーカバーの模様が転写されるのです。読めないので、ざくざくざくざく、ぱらぱらぱらぱら流して、要点をつかむとします。
この本の原題が「To have or to be」であるように
年を重ねることは、to have(持つ)→to be(ある)へと自分で展開していくことなのだろうと解釈して、ともかく良き大人になれるように淡々と生きていきたいものです。
秋から冬の空気に変わる風景は、街路樹の色だったり、女性のブーツだったり、信号待ちで隣に力士がいて見上げる視線だったり、バスに力士が乗ってきて鬢付け油の薫りに包まれるあの感じだったりする。
先日、仕事を午後お休みにして、福岡国際センターに「大相撲11月場所」を見に行った。
新聞に平日ガラガラみたいな記事が出ていたので、嘆く人たちが多いが、比較対象があの全盛期の日々満員御礼だものね。
あの頃が普通じゃなかったと考えたら、いまのあるがままの風景をクールに受け止められるというものだ。
だからこのままでよいとは思ってなくて、あるべきあるがままの姿のイメージは、マスコミがいうような姿では無いよね。それは自分の目で見て、肌で感じで嗅いでみないと分からないのである。
小学生の頃に見た大相撲の会場はとても大きくて、力士は異質でクレイジーな存在だった(と思っていた)
成人式二人分の年齢で見た大相撲の会場は普通に小さくて、力士はそんなに大きくなくて、人間臭くて、興行の裏方の“元”力士の様々な年齢と、スタイルのほうに目が行く、面白いな。
“勢”(いきおい)という、漢字一文字の幕内力士がいるんだけど、
「いきおい〜っ」て掛け声が各方面から飛び交って、本人もとにかく勢いがあって、一発で覚えてしまった。ネーミングも大事ですね。
珍しく、仕事の合間にPCで書いてみた。金曜日祝日、いいふうふの日の翌日はいいにいさんの日なんですな。
明日の土曜日は、ヨーロッパ企画の新作と、東京セレソンデラックスの解散公演、舞台のはしごです、とても楽しみ。
冬支度、年越しの支度。
年末は巣篭もりして、今年パラノイア的に実験を繰り返してきたモノをぎゅっと自分の中に体系的に整理して、仕組み化する仕上げとします。
できたら、概観はしなびた温泉宿、中身は近未来ハイテクゴージャスな宿を確保できればいいな
ああ、11月も終わりです。